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この報告は若松台での会堂建築が終った時に書かれたもので、会堂建築報告書に掲載されたものです。

新会堂建設経過の報告

執事・建設委員長 稲本 渡


1.ビジョンIIIへの道行き
 1987年に堺福音教会は、それまで20年にわたり取り組んで来た様々な建設を第2期建設事業として 区切りをつけ、すべての返済を済ませてヨベルの年としての安息を宣言しました。次の建設計画の備えの 年として、主に対する信頼による安息を深く経験したその年に、東京チャペルの購入問題が具体化し 実現されたことは、私たちの思いを越えた神様の豊かな恵みでした。
 その頃既に堺の会堂は木造建築としての耐用年数も過ぎて老朽化していました。礼拝を二部に分けた ものの尚手狭で、大きな集会はできない状態であり、収容人数のゆとりの無さが大きな悩みの種であり 新しい会堂が切望されるようになっていました。

2.ビジョンIIIの発足と模索
 1998年、新会堂建設の計画が発足しましたが、神様はこの計画に「ビジョンIII」という言葉を与えられました。 ビジョンIIIは単に会堂の建物だけを造る問題ではなく、神様がこの問題を通して私達に与えてくださるチャレンジであり、 これからの働きに対する豊かな“まぼろし”であるからです。
 相次ぐ建設のために、従来からその年々に任命された委員が建設委員会を構成して活動していましたが、 それから後はビジョンVの大きなプロジェクトのための機能と体制の変容を重ねることとなりました。「ビジョンIII」は 5年〜10年にわたる長期計画であり、今までのスケールを越える「次世代の教会形成」を目指すとの意識の浸透をはかる ことが建設委員会の大きな使命でした。
 新会堂の計画に関する第一の問題は、大仙の会堂の土地が狭く、しかも公園に隣接した風致地区に位置することでした。 その地で建て替える場合には、さまざまな建築基準による制約を厳しく受けることになり、希望するような、 大きくて機能的な会堂が建てられないのです。
 およそ1年かけて、隣接地を堺市から購入する可能性の打診、道路を挟んだ向かい側の土地の入手の可能性、 教会隣接の土地入手の見込み・・等を調べた結果、実りのある方向は見出せませんでした。
 そこで「たとえ隣接地が購入出来ないとしても、大仙の現在地に会堂を建て替え、それに付随すべき機能を出来る限り 近くの別地に付加するという案を現実的な第一案とする」事を1989年度の総会において確認し、その方向に動き出すことと しました。
 大仙の土地でどの程度の会堂が建てられるか、その試みのプランも考えて提示されましたが、莫大な建設費が想定される 半面、機能的にも不備であり、しかも大仙の会堂での礼拝は1年以上休止せねばならない上に、将来の進展拡張性も望み 得ない、心寒いものにならざるを得ませんでした。

3.一つの転機
 情勢の打開に心を尽くす祈りを続けていた折、総会のすぐ後の1989年3月に、教会の立ち退きの候補地について堺市からの 接触がありました。教会の隣接地ではないものの、近隣の場所で、しかも現在よりも広い500坪程の場所への移転の勧奨でした。 「これが祈りの答えでしょうか?」と、この案を受け入れるべきかどうか、種々の観点から検討の結果、受け入れは出来ない との返答を固めました。その主なる理由は、
 1) 土地は現在より広いが、その増分の土地購入費を支弁すれば、会堂に充てられる費用はほとんど無く、借り入れに 頼れば返済の重圧のために到底円滑な教会活動が出来ないこと、
 2) 進入道路が狭く、住居地域に隣接しているなど、教会活動の上で問題が生ずる可能性があることの2つでした。

4.閉塞の中に
 「条件が悪く、建設費がかかるとしても、現在の大仙の地に新会堂を建設しよう」との方向を1990年2月の総会でも 確認して、祈りを新たにして主を待ち望む事にしました。 建設業者を野村建設工業(株)に選定、建設委員会の中の、 新進の委員を中心として総務会を組織し、次世代の教会を考え祈っていく推進役としました。
 1991年2月の総会では「これまでの方針に沿って前進」する事を三たび確認し、基本設計の具体化に手を染める事に しました。その7月にはビジョンIIIのための祈り会を開催しました。主の示される道に沿って会堂建設を進めるべき年と 位置づけたのです。

続く >>


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