<第20回>
不在の臨在
「世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます」
(ヨハネ14章19節)
この御言葉は不思議な言葉ではあるが、深く心に残る。
復活後40日もの間主に接した弟子たちは、どんなに幸いであったろうか(使徒1章3節)。
しばしばうらやましく思うことがある。あの時彼らは、主イエス様の3つの姿に触れた。「肉体の主」、
「復活体の主」、そして昇天後の「霊の主」である。今日の私たちは霊の主にしか接することができないが、
だからといって恵みが少なくなるわけではない。
霊の主との交わりによって、間違いなく主の真の姿に触れることができるのである
(II コリント3章6、16-17節)。ペテロはイエス様の肉声を聞いたが、聖書の言葉はそれにまさってより
確実であると証言している(II ペテロ1章17-21節)。
主はもはやこの地上にはおられないが、主が彼らの視界から消えたその時、彼らは主の臨在を
体験したのである(ヨハネ14章19-20節)。
この「風の翼」は1998年9月から22回にわたって、月刊誌「恵みの雨」の連載された信仰エッセイ集です。
〜 新生宣教団発行「恵みの雨」より転載 〜
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