<第14回>
文字ではなく
「文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です」
(II コリント3章6節)
恵みの言葉さえも、本当は、律法と同様に私たちをキリストに導く養育係にすぎない
(ガラテヤ3章24節)。ところがいつの間にか、御言葉そのものが信仰の対象になってしまい、
私たちは御霊にまで至らず(II コリント3章6節)、文字に仕える者になってしまう。
聖書信仰はすばらしいが、その盲点は、御言葉を至上のものとするだけで、御言葉そのものを
信じていないことである。御言葉は必ず、私たちをキリストの臨在に、御霊の実感に導くはず
だからである。
海に突き出た長い桟橋がある。そこをどんどん歩き続ける。ついにその先端に立った。
前には広い海。その海に触れたいときは、どうすればよいのか。そこから飛び込めばよいのだ。
いくら桟橋で足踏みしても、海に触れることはできない。御言葉は、御霊の海に突き出た桟橋だ。
御言葉に足踏みするだけでは、観念の遊びである。御言葉から出て御霊に移らなければ、
御霊の現実に触れることはできない(マタイ14章29節)。
理性的な御言葉信仰から飛び出して、情緒をもって身も心も御霊にゆだねよう。
この「風の翼」は1998年9月から22回にわたって、月刊誌「恵みの雨」の連載された信仰エッセイ集です。
〜 新生宣教団発行「恵みの雨」より転載 〜
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