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<安心しなさい。大丈夫だよ。> 見学 弥須子
<神様という存在を知ったのは…>
私が神様という存在を知ったのは、3、4歳の頃でした。それは、母の姉がク
リスチャンだからです。叔母は自分の子供3人と共に、私たち4人兄弟の面倒を
よく見てくれました。叔母の家にいるときは、食事の前に必ず感謝のお祈りを
しました。お祈りの終わりには、皆が口をそろえて「アーメン」と言いました
が、私はその「アーメン」が言いたくて一緒に賛美歌を歌ったりもしていまし
た。そのような経験から、自然に私の心の中では、神様は優しい人、良い人と
いうイメージを持つようになりましたが、小さかった私にとって神様は、“お
月様と同じように、いつも空から見てくれている人”というようにしか理解出
来ていなかったのでした。
<誰かに助けて欲しい>
そんな思いで月日が経ち、特に何も悩むことなく社会にでるようになりました。
丁度、社会人4年目で新しい会社に入社した時、そこで今まであったことのな
い“イヤ〜な人”に出会いました。「どこの会社に行ってもこういう人はいる」
と頭の中では分かっていても、感情をむき出しにして思うがままに行動してし
まう、その人の態度や発言にいつも振り回され心を痛めていました。毎日、不
快に感じることが重なり、会社に通勤するのが嫌でたまりませんでした。時が
経つにつれて、ストレスが過剰に溜まり、原因不明の腹痛に襲われたりと、私
の体がストレスに異常に反応するようになりました。私はその人の悪口を毎晩
のように母に言い、それによって何とか自分を保つことができていましたが、
いつしかその人のことを“赦せない”という気持ちが心の底に根づき始めまし
た。そして「いつまでもこんな思いをしなければならないのだろう」と先の見
えない将来に不安が募りました。お月様を見ては涙するほどに私の心は痛んで
いました。その時は「誰かに助けてほしい」というそんな気持ちで一杯でした。
<聖書の言葉に出会い、洗礼を受ける>
そんな思いをしている時、ある教会で岩淵まことさんという方の、クリスマス・
ゴスペル・コンサートに誘われました。最初は、なにげなく聞いていた私でし
たが、歌の詩やメロディー、神様のお話しなどが私の心にガンガンと響いてき
ました。泣くつもりなんか全然なかったのに自分でもびっくりしてしまう程に
泣いてしまったのです。心の奥底に溜めきった自分にとってしんどくて辛かっ
た気持ちがいっきに“バーッ”と出てきたという感じでした。聞き終わると、
不思議と心が温かくなりました。私にとってこの歌やメッセージが「安心しな
さい。大丈夫だよ」と神様がそう励ましてくださっているように聞こえたので
した。この体験から“神様”という存在を、もうお月様と同じではなく、一人
の人格者として真剣に考えるようになりました。この日のコンサートが本当の
意味で神様を知るきっかけとなったのです。もっと神様のことを知りたいと思
うようになった私に、神様はそうなるようにと導いてくださいました。丁度学
びたいと思っていた英会話を教会で学べるようにさせてくださり、聖書の内容
をわかりやすく教えてくれる聖書の学びを通して、願いを叶えてくださいまし
た。その学びの中である聖書の言葉に出会いました。
"すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。"
マタイの福音書11章28節という言葉です。何とも言えないスケールの大きさ
を感じました。すべてを受け止めてくれそうな、癒してくれそうな。親や親友か
らも聞いたことのない心に響く言葉でした。でも、それは、人間(私)を創造さ
れた神様だからこそ、これほどの重みのある言葉を大胆に言えるのだと、私なり
に納得することができました。その後も聖書を少しずつですが読みました。そし
て神様は日々私を励まし、守り、愛してくださっているということを次の御言葉
から知らされたのです。
"あなたを形造った方、主はこう仰せられる。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。 わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、 川を渡るときも、あな
たは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃
えつかない。」"
(イザヤ書 43章1節,2節)
"わたしの目には、あなたは高価で尊
い。わたしはあなたを愛している。" (イザヤ書 43章4節)
この言葉の意味は、私が生まれる前から神様は私の名を知り、そして選び取り、
どんな困難においてもあなたを守り抜くといった内容だと教えてもらいました。
なんとも力強い言葉で、心の底から平安で満たされました。と同時に“その神
様の愛をいつも受けていたい、その神様から離れたくない”という思いになり、
25歳の9月10日に洗礼を受けました。
<私自身が変えられたこと>
神様を知ってから、私自身が変えられたことは、人を羨んだり、嫉妬すること
がなくなったことです。また、人の幸福を見れば心の底から祝福できる心を持
てるようになりました。他には、人に優しくできるようになったことでしょう
か。共にこの3つは私にとって大きな変化です。日々不安で仕方なく生きてい
た私でしたが、今はどんなことがあっても、神様が守ってくれるという安心感
をもちながら過ごすことができています。
今、神様を知らなかったときのことを振り返ってみると、毎日が私にとって戦
いだったなあと思います。楽しいことも確かにありましたが、でも、この楽し
みはいつまでも続くものだろうかと いつも不安を抱えていながら生活してい
ました。人間は本当に弱いものです。また、もろい者です。自分の力で生きれ
るのだと強がっていますが、そこには必ず限界があるのだと思います。自分は
弱いものだと認めることができたとき、神様は不安という闇から救い出してく
ださいます。私はそれを、神様を知ることによって知りました。今、私はたく
さんの愛を注いでもらっていることを感じながら 日々生活しています。まだ、
救われるまでの生活の記憶は新しいですが、逆にその時のことを忘れずに 日々、
感謝をもってこれからの生活を歩んでゆきたいと思っています。
感謝
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